大地の再生講座 〜菊川市 和田公園 矢野智徳さんによる見立て〜
森町をあとにして、菊川市和田公園に場所を移して矢野智徳さんによる見立てが実施されました。
今回、なぜ菊川市で矢野さんをお招きできたかというと、以前、僕が、建築士会の主催で菊川市の赤レンガ倉庫で大地の再生の話をさせて頂いた時に、菊川市議員の倉部さんも聞いて頂いたのがきっかけで、市議会の代表質問で
「研究機関との連携、大地の再生の考え方の取り入れ等、根本的な菊川市の地形から水害対策を考えることの必要性は。」
としてくれました。
このことを矢野さんに報告させてもらい、森町に行くなら、せっかくなら菊川市議員の倉部さんとの意見交換もしましょう。とのなり、せっかくなら、昨年の台風で土砂崩れが起き、公園上部のため池の改修工事の話がある和田公園での見立てをしながらがいいと思い、セッティングさせてもらいました。
当日は、急な連絡にも関わらず地元の有志も集まってくれて貴重な機会となりました。
矢野さんから地図情報を見て、話をしてくれました。
地図情報を見て、碁盤の目のように基盤造成された田んぼ、団地造成のエリア、いろんな道路網が張り巡らされている。重機などで自然の大地を削ったり盛ったり、コンクリートやアスファルトを張り、自然の水脈は人工的なコンクリートなどを使った水路網に変わってしまったのが想像できます。気づかぬうちに自然地形の中に重機械で大地を切り刻み人工的な地形にしている比率が自然地形の比率よりも高くなってきているのが分かると思います。
高速道路網から一般道、鉄道網など単位面積当たりの人の開発比率が高くなっているのがわかります。これが、悲しくとも日常的に人が生活している環境の身近な実態であります。これだけの大地の開発されている中で、大地の中の血管である空気と水の循環がどうなっているのか想像しただけでもまともでないというのが分かると思います。
きっとおかしくなっているだろうなと想像して駐車場から公園を入ったすぐの場所でもやっぱり、コンクリートに泥アクへばりついている姿を見ても、体の血管が血液をにじませているような姿になってしまっている。それだけ大地が傷んでいるのが分かると思います。
植えられた桜も一本として健康な桜がない。大きくなっていながら葉っぱの数、枝の数、幹肌の状態を見ても健全な状態がみられない。大地の空気と水の循環が閉ざされてしまし、人が身近に扱っている生き物は健全な表情になっていない。
牧之原台地に入り組んだ谷戸地形の大地の中では、和田公園がこういう状態だっていうことは近隣のところでも同じようなことが起こっていると思ってもいいでしょう。
さらに大きな視点で見てみると東から大井川、菊川、太田川、天竜川流域、静岡の代表的な流域河川がありますが、これだけの血管のように水脈が張り巡ららせている中で、大きな河川であるマクロ視点の中でもここの和田公園というミクロと同じようなことが起こっているのが想像できます。雨が降ればすぐ泥水になって海まで泥汚染が広がっている。流域から大量の泥水が出る地域になってしまっている。本来は清流の泥水が出ない流域だったはずです。これが戻らないまま時日が経ち、雨が降るたびに泥水が出て続けて各地域で流域災害が起きてしまっているのが現状であります。
泥水がでて、桜が弱っている実態は結果として、大地を支える力は弱まり空気や水が大地の中に浸透する力が弱まり大雨が降るたびに大地が崩壊するのは必然的に起きてしまっている。
しかし、現代土木はここを見ていない、壊れたらまたコンクリートを張るの繰り返し、ミクロでもマクロもこういう状態になっている。
これが、悲しくとも日常的に人が生活している環境の身近な実態であります。
実際に昨年の土砂崩壊の現場を見てみます。
崩壊した現場を修復工事が進んでいます。
地形的にみて、道路に集まってくる水が谷筋に出るところが多分崩壊したのだろうと思えます。と矢野さんは話してくれます。
道路に集まってくる水が集約されて外に出ようとするポイント、そこの水の出口を水の勢いを緩めて等速機能にして緩やかに優しく自然の水脈にバトンリレーできるようにつないであげる必要があるが、そのままダイレクトにするとリズムの違う水脈機能が不具合を生じて崩壊を起こすのは必然である。それを調整する役割があったのがため池や合流点の深みの水脈地形であったが、深みの地形を人都合で設計や作業のしやすで施工したものは見た目だけでのもので、自然の機能が失われてしまい、いずれ崩壊してします。それはなぜかというと大地は生きているからです。明らかに不具合があるから自分で調整して壊していく。それは、マイナスではなくプラスの動き、息をしているものが起こす当たり前に起こす現象なのです。
人がやっていることがおかしいよ。と自然は訴えてきている。それをプラスに改善していけばすぐに答えてくれるが、人は自分がやってきたことを変えようとしない。現代の人は、人目線を外せない。自然よりに目を向けることができていない。現代のコンクリート開発は、数字と理論が先行してプランニングしてしまっている。しかし、昔の人は、ここに聞いてきていた。ここ現地の自然の状態と対話しながら暮らしてきたから何100年も歴史や文化が築けてきたと思う。
人が自然よりに目を向けなおして見直すかどうかにかかっている。ここに生活する人から声をあげて一つ一つ学びながら立証していくことが問われている。呼吸がしやすい環境を手作業でやってきたら動植物はプラスの表情を返してくれる。まだ、十分間に合う。
矢野さんからエールをもらいました。
今回の矢野さんからの学びを僕ら地域の人とネットワークを組み、空気循環視点を学びながら伝え広げ、この視点が一般化できるように育んでいく責任があると感じています。災害や環境の問題は、この空気視点は抜きにしては語れないのは間違いないと思います。しかし、ここがまだまだ社会には認め難い分野であることは否めないところです。できることからコツコツと草の根活動ができればと思います。