ブログ

大地の再生お話会 〜菊川おんぱく2021〜を終えて・・・「人が先んじてはいけない。自然が先んじる。」

菊川おんぱくのプログラムで「大地の再生お話会」を2回ほど開催し、1回目は、スライドを使って2回目は菊川市和田公園にて見立てをさせていただきました。

少し、和田公園の内容をご紹介します。
まずは、地図データから和田公園を読み解いていきます。

航空写真のコピー
緑の部分が多く、一見、自然豊かに見えます。しかしよく見ると碁盤の目のように基盤造成された田んぼの水田地帯、茶畑、そして周囲には住宅団地、道路網が張り巡らされています。これはみんな機械造成で大地を切り刻みコンクリートやアスファルトで覆い、大地の血管である自然の水路網をコンクリートなどで人工的に変えてしまっているよに読み取れます。
敷地周辺図のコピー
国土地理院が提供している地図を見ると明らかにわかります。
面積的にいうと人の開発が自然の地形より多くなっているのがわかると思います。知らぬ間にほとんどが人工的な地形になり、自然の地形が少なくなってしまっています。
敷地広域周辺図のコピー
もう少し広い視点で和田公園周辺を見渡して見ると、宅地、高速道路、一般道、鉄道網が広がり、単位面積当たりの人の開発が本当に高くなっている環境整備が進んでいるのがわかります。
大地の血管がどんな具合になっているのか想像してみましょう。
自分の体に当てはめてみてもわかると思います。
身体中のほとんどの血管が圧迫されている状態です。健康でいられる訳がないのが想像できると思います。
和田公園の現地を見ずに、この地図データを持って見てるだけでも、和田公園はきっとおかしなことになっているんだろうな。と想像ができると思います。
IMG_3666

IMG_3661
駐車場から公園の出入り口付近にくるまでの間でも、道路、コンクリートで敷き詰められ、自然地形を切土し人工地形にしている状態です。コンクリートの上に泥あくがへばりついています。雨が降るたびに血管が傷みの状態で、汁や血液を滲み出しているような状態に見えます。桜も葉っぱの数、枝の数や色合い、幹肌は苔むしている表情、1本として健康な木はありません。
つまり、大地の空気と水の循環が閉ざされて低下している分、身近な生き物は健全な表情になっていないのです。
大地の空気と水の循環が動植物の息づく環境を左右していると言っても過言ではないと思います。
流域図のコピー
水脈が地形を作った大まかな地形水脈図になります。赤丸のところが和田公園です。
大井川の右岸で牧之原台地の付けに位置し斜面から平地に変わる入り組んだ谷戸地形のところにあるとがわかります。
和田公園がこんな状態ということは、他の入り組んだところもこんな状態なのだろうと想像ができます。どこもかしこも大地は圧迫されて健康的なところはないのでしょうか?
地形水系図のコピー
川だけを映した地図になります。
これだけを見ても人の血管のように大地には水脈が張り巡らされています。正に大地の血管です。
これは、目に見えるだけの川なので、実際の土中環境にはもっと血管が張り巡らされています。
人も血の巡りが悪くなるとどうなるでしょうか?健康でいられることないですね。病気や炎症、体の傷みが出てきます。
大地も同じです。大地も生きています。大地の血管である、空気と水を循環する水脈が滞ると必ずどこかで不具合を引き起こします。
それが、泥アクを出したり、木々の病気だったりします。
声を発することができない分、そうやってシグナルを出している訳ですが、人はそれを聞こうしません。
その結果、災害を引き起こし結局我々、人に帰ってくるのだと思います。
そろそろ、人は大地の声に耳を傾け動かないと間に合わなくなってくるのではないでしょうか?
地方図のコピー
東側の富士川、安部川、大井川、菊川、太田川、天竜川、静岡の代表的な1級河川があります。
静岡の主だった流域図ですが、海から南アルプスの奥山までつながっています。海側では防潮堤として大地を締め付けられ、奥山では色々な形のダムがあります。これらの流域がどうなっているか?ミクロもマクロも相似形なのです。この和田公園の現場で泥あくが出てるように、この大きい河川も同じことが起こっているのが想像できます。また、静岡だけでなく、全国各地がまた同じ状況なのだと思います。
雨が降るたびにこれらの流域にも泥あくがにじみ出て益々大地は呼吸困難になり深刻な状況になっています。
本来は清流が流れる流域だったがここ5、60年で、泥あくが出る地域になってしまって、それが戻らず、泥あくがで続けてしまって災害が止まなくなってしました。
大地から泥あくが出る状態になった時、そこで生きている生き物は弱くなり、大地を支える結果がなくなり、大地の中に水も空気もしみこむ力も弱まり、大雨が降るたびに大地が崩壊することになる。これは当たり前のことです。大地の空気と水の循環が大地の環境をつくり、生物環境がそこに息づく、そして大地の環境は安定し、空気と水の循環もよくなる。全てのファクターが相互作用をもたらしい合いながら成立しています。空気と水の循環の視点が今の土木には欠けてしまっています。壊れたらコンクリートを張るのが現代土木であり、空気と水を止めてるのが現代土木です。水と空気を抜く、通す考えが大切なのです。

ここ、和田公園でも2019年の台風で土砂崩れがあり、道路は崩壊しました。

Pasted Graphic 7 2

何が原因で土砂崩れが起こったのか?
道路の施工品質が悪かったのか?もう既に道路の寿命がきていたのか?想定外の雨量だったから仕方ないのか?色々と予想されると思います。
1番の原因は、ここの谷筋の下の水脈をコンクリートで抑えてしまったこと、そして、ため池をコンクリート施工したことだと思います。
本来、空気と水が抜けたいところで止めてしまった。ここにコンクリートで覆ってしまうことで空気が滞る原因になります。それに準じて水も滞ります。それが大雨になれば斜面全体への広がり耐えきれなくなって崩れてきます。おそらく道路から谷筋へ水が出るジョイントのところから崩れ始めたのではないかと思われます。
現代土木は、自然には敵わないのが分かったと思います。
現代土木は持って50年じゃないでしょうか?力で抑えつけて、空気や水を止める視点や考えではなく、抜く視点がないのが現代土木であり、止めて、力で抑えつけるのが現代土木だと思います。
現代の土木技術の限界がわかったはずだと思うのですが、人はまた同じことを繰り返してしまいます。それはなぜか?人目線を外せないから、自然の目線に立てないからでしょうか?!

もうひとつ、現代土木の悪いところが、計算と理論だけで成立させてしますところ。現場の状況に耳を傾けていないことです。
どんな現場であろうと設計しやすいように、または作業しやすいように計画を立ててしまいます。
環境全体を見て、地形、土質、周辺環境を見て、水と空気の循環がどのようになっているのか、その現場現場に合わせた工事がこれからは必要になってきます。
決められたマニュアル通りで、計算や数字で成立させること、そこの場所の環境を読み取らずに工事が進むのは、本来、おかしなことだと思います。

ここの場所の水と空気がどのように通っているのか判断しないといけないのです。
現代土木はこれを無視して力で人工的な線(直線)にしてしまっています。
見えない空気をデザインする必要があると思います。その空気は計算では中々現せないからと言って無視する訳にはいかないのです。

ここで大切なのはその現場と対話しながら進めることが大切だと思います。
かつては、人も自然を読み取る力があったはず。昔の人は現場に聞いて育んできたのだと思います。だから何百年もの歴史や文化が築けてきたのではないでしょうか。そこに立ち戻って見直さないといけないと間に合わなくなってしまいます。
本来、土木とは、土と木、有機物の組合せです。かつての土木の視点に倣って進めることがもう一度必要になってきます。

地形を崩しても自然素材である木、土、石などで作っていたから空気も水も通る環境になっていました。
「土木」とは字のごとく、土と木、つまり有機物を組み合わせることで、土地の環境を健全に保ち、なおかつ人の活動においても都合の良い地形に安定させ、両立させていく、そんな技術が、「土木」という文字に込められている。
 ところが、現代土木においては、有機物の分解に伴う土中環境のこと、不確定で見えにくく、計算しにくいファクターにおいて、ほぼ無視されてしまっています。
ファクターを単純化して構造計算の容易なコンクリートの強度と重量によって大地を力学的に抑え込むばかりの発想に基づいています。その結果、擁壁などの人工構造物に対して土圧がのしかかる状態が継続してしまい、大地の息づきは失われてしまいます。
IMG_7422
IMG_7429
IMG_7418

では、どうやって作り直せば良かったのか?考えてみます。
この直線的な傾斜は止める必要があります。これでは、水は浸透せず、表面で水が走りやすく、泥あくを産む原因になります。もっと流線形を描くように傾斜を作り、山の尾根と斜面と谷があるように牧之原台地の地形に倣って作る必要があると思います。
道路から谷筋に水が流れ出るところ(水が集約される出口)もしっかりと深みを作り人工的な水脈から自然の水脈につながるようにしていく必要があると思います。
自然界では、それをため池や合流点の深み、滝壺を作っています。そこで、泥アクを越し、水の勢いを止めゆっくりと下へ繋いでいきます。
深みをコンクリートで見た目だけで仕上げるとそれは、有機的ではなく機能が賄わなくいずれ、崩壊していくと思います。
それは、なぜか、
大地が生きているからです。息をしているものが苦しいから息をしようと崩壊するのは、必然であり、それは自然にとっては、マイナスではなくプラスの要素なのです。
斜面、谷筋は蛇行させて、水が本来の川のような流れになるように仕立ててあげる必要もあると思います。
上からくる水が泥アクを生まずに本流つなぐようにすれば、水も空気も浸透し、動植物が息づく環境が生まれ、大地も安定してくると思います。
ice_screenshot_20210703-125422(ネットより)
さて、先日、熱海で土石流の被害がありました。
何が原因だったのかこれから様々な議論がされることだと思います。盛土やメガソーラーについても言われることでしょう。
しかし、根本的なところは、海側から尾根までの谷筋にコンクリートやアスファルトや宅地化が進み、また、上部での地形を崩し開発行為することで、流域全体で土中環境の空気と水を通す大地の血管である水脈を滞らせてしまったことだと思います。自然の水脈の機能が損なわれてしまったことだと思います。
人の営みがもたらした結果ではないでしょうか?
ただ、決して、コンクリートなどが悪いというわけではなく、それらが生み出す空気と水の流れが自然の水脈のリズムと違うことがいけないのです。コンクリートを使いながらでも自然の空気と水の循環機能を損なわず、泥アクを発生しなければここまでの被害はなかったのではないかと思います。

静岡県が、盛土が原因のひとつではないかという発表をしています。今までは、観測史上最大とか想定外の雨量とかで片付けてしまっていたことを思うと一歩前進したように思います。
今回の災害は、人がやっていることがおかしいですよ。と大地は悲鳴をあげているのです。自然の声だと思っていいと思います。
この声を聞かずに人はまた同じことを繰り返すのか・・・。
高田造園設計事務所の高田さん(NPO法人地球守 代表理事)の記事もぜひ、みていただきたいです。

大地も生き物もみんなおかしいよ。という表情をしています。それに目を向け耳を傾け、できることからやっていけばまだ、間に合うと思います。でも、このまま放置していけばどんどん衰退していく一方で、最終的には間に合わなくなリ、結局人が住めない環境にもなってきてしまいます。
人が自然寄りに目を向け直して、
「人が先んじてはいけない。自然が先んじる。」
矢野さんの言葉です。
その場所の自然的な機能をまずは、損なわないようにし、
その次に人のやりたいことをあてはめて考える。それが可能なことか、自然と調和できることか。自然と対話しながら決めていく。一歩譲った空間づくりがこれからは必要なのです。

タグ一覧